室堂から裏劔・欅平まで 2005.9.30~10.2
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9月29日(木) 自宅〜京都駅JRバス

9月30日(金) 富山駅〜→立山駅→剣山荘

10月1日(土) 剣山荘→池の平小屋

10月2日(日) 池の平小屋→阿曽原温泉小屋→欅平→宇奈月温泉→富山JRバス

10月3日〔月) 京都着→自宅

みくりが池の後ろは別山と真砂岳・左の奥に劔が見える
立山室堂平に現存する山小屋。立山信仰に基づいて登山した人々の最後の宿坊であり、ここから山頂の雄山神社に参詣しました。『加賀藩史料』によると、元和3(1617)年前藩主前田利家夫人玉泉院が再興したと記されてい ます。また立山古文書に室堂再興棟札の写しがあり、宝暦2(1752)年加賀藩主前田重?が再建して寄進したと記されています。浄土山・国見岳の山麓が北西にのびる台地の東端で、比較的安定した標高約2,450mの地点にあります。現存する小屋は南北方向に並ぶ2棟からなり、いずれも桁行5間・梁行4間の総柱建物。屋根は柿葺で裏板には厚板を葺いています。正徳3(1713)年刊行の『和漢三才図絵』地誌部立山権現の条には〈室堂四間五間、三棟〉とあり、正徳3年以前には3棟からなっていたことが分かっています。さらに江戸期に描かれたいくつかの立山曼荼羅図にも3棟の建物が描かれています。平成4(1992)年の解体修理に伴い、立山町教育委員会が北室の発掘調査を行いました。その結果、16世紀中ごろには現存の建物とは性格の異なる礎石建物のあったことが分かりました。建物の中央部の東西2間×南北3間の部分は元和3(1617)年の再建時のもので、外側に1間広げた4間×5間の部分は正徳3(1713)年以前にもう一度拡張再建したものと考えられます。周囲の石垣の下層からは鎌倉時代のものを含む中世の珠洲焼と土器が出土。この付近にはすでに鎌倉時代から何らかの宗教的な施設があったと推定されます。戦国時代には信仰に関する簡単な礎石建物が建てられ、江戸時代期には加賀藩の後押しである程度固定化した建物が再建されました。江戸時代中期には立山信仰の隆盛に伴い宿泊所として大型の建物に再建されました。隣接地に昭和61(1986)年室堂山荘が建てられ、登山者はここで宿泊するようになりました。
出典:富山大百科 下巻
室堂山荘の横にある日本最古の山小屋
室堂山荘の後ろには夏に縦走した富士の折立から雄山
室堂山荘からの眺め
雄山・一ノ越方面
雄山ミドリガ池に映る雄山
地獄谷
チングルマが秋の風情を醸し出す
ナナカマドの実が赤い
雷鳥坂の登りで
雷鳥坂の途中からの室堂方面・私はこの眺めがとても好きだ
秋のチングルマ
劔岳全景と白馬方面・下には小さな劔沢小屋
       劔岳

早朝劔沢を下る

この日の泊剣山荘と劔岳

劔の美しさにしばらく立ち止まり時間を忘れる

朝焼けが美しかったが
八峰と源治郎尾根
劔沢
覗いてみると造形的
平蔵谷雪渓・夏とは様変わり
長治郎谷雪渓
近藤岩・これを目印に左に仙人新道へ
このガスの下には平の池が…・あぁ〜残念!
仙人新道にはリンドウががたくさん咲いていた
振り替えると小鳥の巣箱のような阿曽原温泉小屋
平の池小屋にて!
仙人温泉で記念撮影!
ガスの中から見事な水平歩道が現れる

高度感は凄い!!

滝が幾筋も流れていて水平歩道にシャワーとなって落ちている

 

 欅平で全身びしょ濡れに震えながら、

 観光客ばかりのトロッコ電車に乗り込む

 宇奈月まで1時間半近くかかる

 宇奈月で温泉会館(共同浴場)に飛び込み生き返る

 雨ばかりの裏劔で残念だったが、

 それでも山は私を失望させなかった

奥鐘山西壁が迫力で迫っていたがすぐにガスの中
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